大阪地方裁判所 昭和61年(ワ)5327号 判決 1991年1月17日
原告
藤原桂子
ほか二名
被告
田仲弘志
ほか一名
主文
一 被告らは、各自、原告藤原和幸及び原告藤原秀利に対し、各金三二九万四四五四円及び内金二九九万四四五四円に対する昭和六〇年四月五日から支払済みまで年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。
二 原告藤原和幸及び原告藤原秀利のその余の請求及び原告藤原桂子の請求を棄却する。
三 訴訟費用は、原告藤原桂子と被告らとの間では原告藤原桂子の負担とし、原告藤原和幸及び原告藤原秀利と被告らとの間では、これを五分し、その四を同原告らの負担とし、その余を被告らの負担とする。
四 この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告らは、各自、原告藤原桂子に対し、金三四七八万五二四五円及び内金三一七八万五二四五円に対する昭和六〇年四月五日から支払済みまで年五分の割合による金員、原告藤原和幸、原告藤原秀利に対し、各金一七七九万二六二三円及び内金一五八九万二六二三円に対する昭和六〇年四月五日から支払済みまで年五分の割合による金員を各支払え。
2 訴訟費用は、被告らの負担とする。
3 仮執行宣言
二 請求の趣旨に対する被告らの答弁
1 原告らの請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告らの負担とする。
第二当事者の主張
一 請求原因
1 事故の発生(以下、「本件事故」という。)
(一) 日時 昭和六〇年四月五日午前四時一五分ころ
(二) 場所 奈良県北葛城郡王寺町元町二丁目一四の二先路上(以下、「本件事故現場」という。)
(三) 事故車 大型特殊貨物自動車(奈一一か一四四五)
右運転者 被告田仲弘志(以下、「被告田仲」という。)
(四) 態様 本件事故現場の横断歩道を南から北に横断中の訴外藤原冨太郎(以下、「冨太郎」という。)に、東から西に向つて走行中の事故車が衝突した。
2 責任
(一) 被告田仲の責任
被告田仲は、制限速度が時速四〇キロメートルに規制されている本件事故現場の道路を時速六〇ないし八〇キロメートルの高速度で事故車を走行させ、本件事故現場が通い慣れた道路で、横断歩道の存在を熟知していたにもかかわらず、前方を注視せず、何らの減速徐行措置もとらないまま、かつ夜間であるにもかかわらず、前照灯の照射角度を下向きにしてその照射範囲並びに照射距離を過少な状態にしたまま運転を続けた過失により本件事故を発生させたから、民法七〇九条に基づき、本件事故によつて生じた損害を賠償する責任がある。
(二) 被告株式会社いわれの責任
被告株式会社いわれ(以下、「被告いわれ」という。)は、事故車を所有し、これを自己のために運行の用に供していたから、自動車損害賠償保障法(以下、「自賠法」という。)三条に基づき、本件事故によつて生じた損害を賠償する責任がある。
3 損害
(一) 冨太郎の受傷内容、治療経過及び自殺
(1) 冨太郎は、本件事故により、頭蓋骨陥没骨折、脳挫傷、脳内出血、右尺骨骨折、右足骨折の傷害を受け、次のとおり治療を受けた。
ア 郡山青藍病院
<1> 昭和六〇年四月五日から同年六月二二日まで入院(七九日間)
<2> 昭和六〇年六月二三日から同六一年二月一二日まで通院(実通院日数一四日)
イ 大和郡山総合病院
昭和六〇年五月一五日から同年六月一八日まで通院(実通院日数二日)
ウ 大阪市立大学医学部付属病院
<1> 昭和六〇年六月二五日から同六一年一月八日まで眼科に通院(実通院日数一四日)
<2> 昭和六〇年一〇月二日から同六一年二月一二日まで脳神経外科に通院(実通院日数八日)
エ 東住吉森本病院
昭和六〇年七月二九日から同年一二月二日まで通院(実通院日数九二日)
(2) 冨太郎は、本件事故直後から意識不明の状態が続き、昭和六〇年四月二七日にようやく意識が回復したものの、前記傷害により物が二重に見える複視や記銘力障害、発語の軽度の障害が発症したため、前記のとおり入通院を継続して治療を受けたが、容易に軽快せず日常生活にも支障を来していたところ、同年一〇月三〇日には、大阪市立大学医学部付属病院(以下、「市大病院」という。)脳神経外科の坂本医師から、同年一一月一二日には、東住吉森本病院(以下、「森本病院」という。)の朝倉医師から、相次いで眼症状の回復の可能性は低いことを告げられた(同六一年二月一二日には、右坂本医師から車の運転は適さない旨告げられた。)ことから、長年タクシー運転手として生計を立ててきた冨太郎にとつては自己の生計の資を奪われたのに等しく、強い精神的衝撃を受けた。冨太郎は、昭和六一年一月二一日から、本件事故前からタクシー運転手として勤務していた訴外松原交通株式会社(以下、「松原交通」という。)に復職し、職種を変えてLPガススタンド主任の仕事を始めたが、複視や記銘力障害のため、懸命の努力を続けていたものの、思うように仕事がはかどらず、その間、同年二月一二日ころには、本件事故によつて、他覚的症状として、複視、右肘関節運動障害、発語の軽度障害、性格変化、CT所見上頭部と前頸部の梗塞、脳室拡大・脳波異常及び眼球運動障害、自覚症状として、記銘力障害、頭痛及び右肘運動時の疼痛の各後遺障害を残して症状が固定し、このような障害のために冨太郎は、本件事故以前の明るい性格が一変し、暗く、怒りぽい性格になつた。
さらに、冨太郎は、昭和六一年七月一四日午前一時ころ、突然てんかん発作を起こして救急車で森本病院に搬送され、同日午前二時ころには意識を回復したものの、同病院の朝倉医師から、発作は本件受傷の後遺症であり、今後も疲労時には同様の発作を起こす可能性があるとの説明を受けた。右てんかん発作は、本件事故後一年以上経過したのでもう脳傷害を原因とする後遺障害が発症することはないと考えていた冨太郎にとつては、強烈な精神的打撃であり、そのうえに抗てんかん剤服用の副作用として、吐き気がして食事が取りにくく、味覚が変化し、体に湿疹が生じ、酒が飲めなくなるなどの症状も生じてきた。このようなてんかん発作と抗てんかん剤による副作用は、それまで懸命に社会復帰への努力を続けていた冨太郎から復帰への意欲を奪うことになり、それ以降、冨太郎は、欠勤が多くなつているが、それでも、責任感の強い冨太郎は、スタンドにLPガスが搬入される日には休めないといつて、一週間のうちの半分程度は、無理をしながら出勤を続けていた。こうして、冨太郎は、同年八月下旬ころから、次第にふさぎこみ、口数も少なくなつて行き、遂に同年九月六日、縊死自殺するに至つた。
以上のとおりで、冨太郎の縊死自殺は、本件事故による受傷のために生じたてんかん発作が誘因となつて惹起された強度のうつ状態が原因となつて遂行されたものであるから、冨太郎の縊死自殺と本件事故との間には相当因果関係があるというべきである。
(二) 損害額
(1) 訴外冨太郎
ア 治療費 一四五万六八四四円
イ 入院雑費 九万四八〇〇円
郡山青藍病院入院中の七九日間に、一日当たり一二〇〇円を下らない雑費を要した。
ウ 付添費 三九万五〇〇〇円
冨太郎は、前記七九日間の入院中、付添看護を必要とし、全期間近親者が付添つたから、一日当たり五〇〇〇円の付添費相当の損害を被つた。
エ 休業損害 三八八万〇七七三円
冨太郎は、前記のとおり、本件事故当時、松原交通に勤務し、昭和五九年の年収は三九二万六二〇六円であつたところ、本件事故により、昭和六〇年四月五日から同六一年二月一二日までの三一四日間、入通院のために就労できず、また、右休業のために賞与が昭和六〇年七月分で七万二〇四八円、同年一二月分で三三万四五一七円、同六一年七月分で九万六八二四円の合計五〇万三三八九円減額されたから、冨太郎の本件事故による休業損害は、次のとおり三八八万〇七七三円となる(円未満切捨て、以下同じ。)。
(算式)
3,926,206÷365日×314日+503,389円=3,880,773円
オ 逸失利益 三四六三万七九三二円
冨太郎は、昭和八年三月五日生まれの男性で、松原交通において、七〇歳まで雇用を保障されていたものであるから、本件事故に遭わなければ、前記のように自殺するようなことはなく、なお一八年間稼働することができ、その間毎年少なくとも前記昭和五九年の年収額である三九二万六二〇六円を下らない収入を得ることができるはずであつた。そこで、右収入から、生活費として三〇パーセントを控除したうえ、ホフマン式計算方法により、年五分の割合による中間利息を控除して、同人の逸失利益の現価を計算すると、次のとおり三四六三万七九三二円となる。
(算式)
3,926,206円×0.7×12.6032=34,637,932円
カ 慰謝料 一二〇〇万円
(2) 権利の承継
原告藤原桂子(以下、「原告桂子」という。)は冨太郎の妻であり、原告藤原和幸(以下「原告和幸」という。)及び原告藤原秀利(以下、「原告秀利」という。)は冨太郎の子であるところ、冨太郎の死亡に伴い、同人の被告らに対する損害賠償請求債権を法定相続分に従つて承継した。
(3) 原告らの損害
ア 葬儀費用及び墓碑建設費用 三〇〇万円
冨太郎の死亡に伴い、葬儀費用及び墓碑建設費用として、少なくとも三〇〇万円を要し、原告らが法定相続分に従つて負担した。
イ 慰謝料
<1> 原告桂子 一〇〇〇万円
<2> 原告和幸 五〇〇万円
<3> 原告秀利 五〇〇万円
ウ 弁護士費用
<1> 原告桂子 三〇〇万円
<2> 原告和幸 一九〇万円
<3> 原告秀利 一九〇万円
4 損害の填補
冨太郎は、近畿交通共済共同組合から治療費として七四万四五〇〇円、労災保険から療養給付として七一万二三四四円、被告いわれが加入していた自動車保険から三七一万八〇一五円、自動車損害賠償責任保険(以下、「自賠責保険」という。)から六七二万円、合計一一八九万四八五九円の各支払いを受けているから、原告らはこれを前記損害額に充当する。
よつて、本件事故による損害賠償として、被告ら各自に対し、原告桂子は三四七八万五二四五円及びうち弁護士費用を除く三一七八万五二四五円に対する本件事故の日である昭和六〇年四月五日から支払い済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを、原告和幸及び原告秀利は各一七七九万二六二三円及びうち弁護士費用を除く一五八九万二六二三円に対する前同日から前同割合による遅延損害金の支払いを、それぞれ求める。
二 請求原因に対する認否
1 請求原因1(事故の発生)のうち、冨太郎が横断歩道を横断していたとの点は否認し、その余の事実は認める。
2 同2(被告の責任)について
(一) (一)は否認する。
事故車は、全長一七・四一メートル、車幅二・五メートルの大型貨物自動車であり、本件事故当時のように深夜で他の通行車両もなく、騒音も少ない場所を事故車が走行すれば、その轟音と前照灯の光によつて、歩行者は一〇〇メートル前方からでも事故車の接近を知り得るはずであるところ、冨太郎は、本件事故現場の道路を横断しようとして、道路端から一メートル道路中央寄りまで進んだ時点で事故車が自己の右方三〇メートル付近に接近しており、その時点では容易に引き返すことができたにもかかわらず、さらにそのまま一・三メートルも横断を続け、事故車の前方にあえて進行して事故車と衝突したのであり、本件事故はこのような冨太郎の自殺行為にも等しい無謀な横断によつて発生したものである。
これに対し、被告田仲は幹線道路である本件事故現場を、通常、人が歩行することのない午前四時ころに走行していたのであるから、横断歩道が設けられている場所であるからといつて、自車前方直前を人が横断するというようなことは通常予想しないところであり、また、事故車の前照灯の照射機能は、二八メートル手前まで接近してはじめて前方にいる人を識別できる程度のものであるところ、被告田仲は、約三〇メートル手前で冨太郎を発見し、急制動の措置を講じるとともに、冨太郎との衝突を避けるために右転把しているのであるから、被告田仲には前方注視義務違反及びその他の結果回避義務違反はないし、さらに前記のような本件事故現場の状況からすれば、被告田仲に直ちに停止することができるような速度で進行すべき徐行義務があつたということもできないから、被告田仲には何らの過失は存しない。
(二) (二)のうち、被告いわれが事故車の所有者であることは認める。
3 請求原因3について
(一) (一)のうち、(1)のアないしエの冨太郎の治療経過は認め、その余の事実は不知。本件事故と冨太郎の死亡との間に相当因果関係があるとの主張は争う。
本件受傷により、冨太郎には右肘関節の機能障害が発生したが、右障害は、昭和六〇年一二月二日には症状が固定してリハビリ治療も不必要となつており、また、複視についても、同年一一月以降は軽快し、医師も同年一二月ころには就労を勧めたことから、冨太郎は同六一年一月から復職していること、昭和六一年二月一二日に症状固定の診断を得たのちは、冨太郎は半年余りの間に一度も通院しておらず、同年三月ころには、松原交通の営業部長を代理人として保険会社に損害賠償の支払いを求め、同年六月一九日には、自賠責保険の認定した八級の後遺障害が存在することを前提にして、原告らが承継する前の訴えを提起していること等の経過に照らすと、冨太郎は、同年前半には通常の日常生活に戻つていたというべきであり、その後、同年七月ころ、てんかん発作が発生したというが、発生自体定かでないばかりか、その後は同様の発作もなく、同年八月六日からは変形性脊椎症による腰痛のリハビリを受けていたのに、てんかん発作に関する検査・治療はほとんど受けていないことからすると、冨太郎が、本件事故による後遺障害を苦にして自殺したとは到底考えられず、むしろ、冨太郎の自殺は、本人の特有な性格・心理に起因するというべきであり、本件事故と冨太郎の死亡との間に相当因果関係は存しないというべきである。
(二) (二)のうち、(1)ア(治療費)及び訴外冨太郎が本件事故当時松原交通に勤務していたことは認め、その余の事実は不知。
4 請求原因4(損害の填補)は認める。
三 抗弁
1 寄与度減額
仮に、本件事故と冨太郎の死亡との間に、相当因果関係が認められるとしても、前記のとおり同人の死亡は、同人の特有な性格・心理に起因した自殺によるものであるから、寄与度に応じて被告の責任は相当程度に限定されるべきである。
2 過失相殺
前記のとおり、本件事故は、冨太郎の自殺行為にも等しい無謀な横断によつて発生したものであるから、相当な過失相殺がなされるべきである。
3 損益相殺
労災保険から、冨太郎に対し、休業特別支給金として五三万三三七六円、原告桂子に対し、障害特別支給金として一七九万円、障害特別年金として二万一五八三円、障害補償年金差額一時金として六〇八万五一三二円、障害補償特別年金差額一時金として一〇九万〇六一七円が支払われているから、これらの労災給付金も損害額から控除されるべきである。
四 抗弁に対する認否
1 抗弁1及び2はいずれも否認する。
2 同3のとおりの労災保険給付金を受領した事実は認めるが、これらの給付金のうち、特別支給金及び特別年金はいずれも労働福祉行政上の生活扶助の観点から給付されたもので、代位取得の規定もなく、損害の填補を目的としたものでないから、損益相殺の対象にはならないというべきである。
第三証拠
本件記録中の書証目録及び証人等目録の記載のとおりであるからこれを引用する。
理由
一 請求原因1(事故の発生)は、冨太郎が本件事故現場の横断歩道を横断中であつたとの点を除き、当事者間に争いがない。
二 責任原因
1 被告田仲の責任について
右争いのない事実に、成立に争いのない甲第一号証、乙第一ないし六号証、第一一号証の三、昭和六二年一〇月二五日に本件事故現場付近を撮影した写真であることについて争いのない検乙第一ないし第八号証、証人野村宏一の証言及び被告田仲本人尋問の結果によれば、以下の事実を認めることができる。
(一) 本件事故現場は、大和川の南側沿いを東西に走り、本件事故現場の東方でゆるやかに左カーブしている国道二五号線の路上であり、事故現場付近の右道路は、片側一車線(各幅員三・〇メートル)で、西行車線の南側には、白線で区分された幅〇・五ないし〇・七メートルの路側帯が、東行車線の北側には、路側帯及び縁石で区分された歩道がそれぞれ設けられているが、東行車線の路側帯は本件事故現場の少し手前(西側)から左折車線となつており、また、本件事故現場には、右道路を横断するための横断歩道が設置されていた。
なお、右道路は、制限速度が時速四〇キロメートルに規制されており、本件事故当時、交通は閑散としており、付近には街灯等も少なく暗い状態であつたが、事故車からの見通しは良好であり、また事故当時の天候は晴れで路面は乾燥していた。
(二) 事故車は、トラクター部とトレーラー部(トレーラー部の登録番号は奈一一け一〇九号である。)からなる大型貨物自動車であり、トラクター部は長さが五・四八メートル、幅が二・四九メートル・高さが二・八六メートルであり、トレーラー部は、長さが一一・九三メートル、幅が二・五メートルで、最大積載量は二〇トンであつたが、本件事故当時は積荷はなかつた。事故後、事故車トレーラー部の左前車幅灯が破損するとともに左前部グリルに冨太郎の表皮が付着しており、また、事故後、警察において事故車の前照灯の照射実験をしたところ、事故車の前照灯を下向きに減光した状態では前方にいる人を人と認識できる範囲は事故車の前方二八メートルまでであつた。
(三) 冨太郎は、本件事故当時、松原交通に勤務していたタクシー運転手であり、タクシー運転手として一〇年以上の経験を有していた者であるところ、本件事故当時は、大阪市浪速区下寺町で乗車させた男性客を本件事故現場付近まで運送し、その客からまた戻つて来るので待つていて欲しい旨依頼されたため、前記左折車線上にタクシーを移動させ、スモールランプを点灯させてそこで待機することにし、その旨を松原交通に連絡するために道路の南側の前記横断歩道の正面付近に設置されていた公衆電話まで行つて電話をかけたのち、停車中のタクシーに戻ろうとして道路を横断していたときに本件事故に遭遇したものであり、右横断に際し、冨太郎は東方から西進してくる事故車を認めていたが、少なくとも西行車線は渡り切ることができると判断して、前記横断歩道の若干西側に外れた付近から横断を開始し、西行車線の大半を渡り終えた地点(道路南側の路側帯との区分線から中央線方向二・三メートル、中央線まで〇・七メートルで、横断歩道の西側端から一・六メートル西側の地点、なお、冨太郎はやや北西方向に斜めに移動している。以下、この地点を「本件衝突地点」という。)で、冨太郎との衝突を避けようとして右に転把した事故車の左前部角付近に衝突した。
(四) 被告田仲は、本件事故当時、大阪南港で積荷をするために事故車を運転して、本件事故現場の道路を西進していたもので(被告田仲は、本件事故以前にも本件事故現場を何度か事故車で通つたことがあつた。)、当時、事故車の前後には走行する車両はなく、対向車もなかつたが、事故車の前照灯の照射角度を下向きにし、時速六〇ないし七〇キロメートルの速度で進行していたところ、本件事故現場の前記左折車線上に、冨太郎が停車させていたスモールランプを点灯中の前記タクシーを発見し、その直後に前方約二四・七メートルの西行車線上の前記横断歩道から若干西側に外れ、西行車線の南端から約一メートル西行車線内に入つた地点を北に向かつて横断中の冨太郎を認め、衝突の危険を感じて急制動の措置を講ずるとともに、右にハンドルを切つて衝突を回避しようとしたが及ばず、事故車は、約二五・三メートル進行して本件衝突地点でその左前部角を冨太郎に衝突させ、さらに約一六・一メートル進行して停止した。
(五) 事故後、本件事故現場には事故車の左側車輪によつて印象された二条のスリツプ痕(左が八・四メートル、右が一〇・一メートル)と右側車輪によつて印象された、二条から四条になり、更に二条になつて終るスリツプ痕(全長は左が二八・二メートル、右が二九・〇五メートルである。)が残つていた。
なお、被告らは、事故車の速度が時速五〇キロメートルであつたと主張し、被告田仲の供述中にはこれらに副う部分もあるが、前認定のとおり、本件事故現場の事故当時の路面の状態はアスフアルト舗装で乾燥していたにもかかわらず、被告田仲が冨太郎に気付いて急制動の措置を講じてから事故車が停止した地点までに約四一・四メートルを要しており、他方、乾燥したアスフアルト舗装路面における停止距離は、一般に採用されているとおり反応時間を〇・八秒、摩擦係数を〇・七とすると、時速六〇キロメートルの場合は三三・一九メートル、時速七〇キロメートルの場合は四二・五九メートルと算出されることに照らすと、前認定のとおり事故車の速度は時速六〇キロメートルから七〇キロメートル程度であつたと推認されるので、被告田仲の前記供述は信用できず、他に前記認定を左右するに足りる証拠はない。
以上認定したところによれば、被告田仲は、本件事故当時、午前四時過ぎころで交通が閑散であつたことに気を許し、制限速度を二〇キロメートルから三〇キロメートルも超過して事故車を走向させているところ、被告田仲が冨太郎を発見したときには、同人は約二四・七メートル前方の西行車線の南端から約一メートル同車線内に入つた地点を横断中であつたのであり、このことに本件事故現場の制限速度が時速四〇キロメートルであり、時速四〇キロメートルで走行中の車両が急制動の措置を講じた場合の停止距離(空走距離を含む。)が二〇メートル程度とされていることを合わせ考えると、被告田仲が制限速度を遵守して走行していれば優に本件事故を回避できたということができるから、被告田仲には、本件事故発生につき、制限速度超過の過失があつたことは明らかであり、また、被告田仲は、先行車や対向車があつたわけではないのに事故車の前照灯を下向きにしており、しかも、事故車の前照灯は下向きに減光した場合二八メートルまで接近しなければ前方にいる人を人と確認することができないというのであるから、被告田仲には、夜間、車両を運転する者として、自車の速度及び交通状況に応じて前照灯の照射角度を変え、自車の停止距離以上の範囲についての進路の安全を確認することができるようにして走行するべき注意義務があつたにもかかわらず、前照灯の照射角度を下向きにしその照射範囲及び照射距離を少なくしたまま走行した結果、冨太郎の発見が遅れた過失があつたというべきであり、さらに、道路運送車両の保安基準(昭和二六年運輸省令第六七号)三二条によれば、自動車の前照灯はその照射角度を下向きにした状態でも夜間前方四〇メートルの障害物を確認できなければならないとされているのであるから、右保安基準を明らかに下回る事故車を運転していた過失もあつたといわなければならない。
なお、被告らは、冨太郎が本件道路を一メートルほど渡りかけた時点には、事故車は既に相当接近しており、同人は、事故車の発する轟音や前照灯の光によつて事故車の接近に気付いていたはずであり、現に冨太郎は立ち止まつて事故車の方を見ているのであるから、直ちに横断を止めて引き返していれば、十分衝突を避けることができたはずであるのに、そのまま横断を続けて事故車に衝突したものであり、かかる冨太郎の横断は自殺行為に等しく、被告に過失はない旨主張するが、本件事故当時、冨太郎は、前認定のとおり、電話連絡をしたのち自車の方へ帰ろうとしていたのであつて、同人が自殺する意思で事故車の前に出たことを裏付けるような証拠は全くなく、従つて、冨太郎は、事故車に気付いてはいたが、少なくとも事故車が進行してくる西行車線は渡り切れると判断して横断したところ事故車の接近が意外に早くて避けることができなかつたものと考えられ、右判断の誤りという落度の存在は否定できない(右判断の誤りには、前認定のとおり事故車の前照灯の光が弱かつたことが関係している可能性も考えられる。)にしても、そのため前認定の被告田仲の過失が否定されることになるものではなく、また、冨太郎が事故車に気付いたときに横断を中止して引き返しておれば事故車との衝突を避けることができたということができるとしても、体の向きを変えて引き返すことの方がより時間がかかる場合もあると考えられるし、冨太郎がとつさの判断で本件道路の横断を続け、結果的に事故車の前面に出て衝突をしたとしても、それをもつて冨太郎の横断を自殺行為に等しいとまで断ずることはできないというべきである。
従つて、被告田仲は、民法七〇九条に基づき、本件事故によつて生じた損害を賠償する義務がある。
2 被告いわれの責任
被告いわれが事故車の所有者であることは当事者間に争いがなく、被告田仲本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、被告いわれは本件事故当時、被告田仲を雇用し、同人に事故車を運転させて原木等を運搬させていたことが認められるから、被告いわれは、事故車の運行供用者として、自賠法三条に基づき、本件事故によつて生じた損害を賠償する義務がある。
三 冨太郎の受傷内容及び治療経過並びに自殺
1 請求原因3(一)(1)のうちアないしエの冨太郎の入・通院の状況は当事者間に争いがなく、右事実に、成立に争いのない甲第二号証の一ないし四、第五号証、第六号証の一ないし四、第七号証、第八号証の一、二、第九号証、第一二、第一三号証、第二〇号証、乙第八号証の一ないし三、第九号証の一、二、第一〇号証の一、二、原本の存在・成立に争いのない乙第七号証の一ないし一〇、原告桂子本人尋問の結果により真正に成立したと認められる甲第一一号証、第一四号証の一ないし三、第二一号証の一ないし五、第二二、第二三号証、証人野村宏一の証言及び鑑定人中山宏太郎の鑑定の結果並びに原告桂子本人尋問の結果を総合すれば、以下の事実を認めることができる。
(一) 冨太郎は、本件事故により頭部外傷(頭蓋骨陥没骨折、脳内出血)、右肘尺骨骨折等の傷害を受け、昭和六〇年四月五日午前四時四五分ころ郡山青藍病院に搬送されたが、搬送時の意識レベルはⅠ群二ないし三程度で「痛い。痛い。」と訴えており、右眼球は、右眼瞼及び眼球結膜の打撲による腫脹のためにほとんど開かず、鼻出血を飲み込んで胃に溜まつていたものと考えられる吐血(一〇〇ミリリツトル程度のもの)が数回あつた。その後、午前一〇時ころになつて意識障害が悪化して意識レベルはⅡ群二〇程度になつたが、午後五時ころには、意識レベルはやや改善してⅡ群一〇になり、午後八時ころには、覚醒状態にあつて呼び掛けに対し、「はい。はい。頭は痛くない。」などの発語ができるようになつた。冨太郎には、CT検査結果により、右前頭部脳内出血(大脳皮質表面に高密度域があり、脳挫傷出血であることを示していた。)とそれに一致した部位の頭蓋骨骨折及び硬膜下出血と脳室圧迫が認められ、また、頭蓋レントゲン写真により前額洞に圧迫骨折が認められたが、中心線変移は中程度であり、意識障害も改善の兆しがあつたことから開頭術は施行せず、点滴及び注射による薬物の投与等の保存的療法を行いながら、追跡コンピユーター断層撮影による経過観察を行つていたところ、出血巣の変化はなく、同月六日には、中心線変移が消失し、同月八日には、前頭域にみられた高密度域が縮小し、その周囲の低密度域が拡大したものの、同日から流動食の経口摂取ができるようになり、同月一三日には出血巣も縮小した。その後、冨太郎の意識レベルはⅠ群からⅡ群程度で推移し、排便排尿や食事のことを聞いても「わからない。」と答えるなど記銘力障害や見当識障害がみられることもあつたが、覚醒時の会話は良好となつてきた。
(二) 同年五月一日に至り、冨太郎は、複視の症状を訴え(但し、左目のみを開けていた場合には複視の症状の訴えはなかつた。)、同月一五日に大和郡山総合病院眼科で診察を受けたところ、外斜視による両眼性複視及び動眼神経不全麻痺の症状が認められ、頭部外傷により生じたものと考えられるが、視力は左右とも一・二で瞳孔異常はない旨診断された。
(三) 冨太郎は、同年五月二日に右尺骨骨折に対する観血的整復固定手術を受け、同年六月一〇日にギブスが除去され、同月一三日から右上肢に対する機能訓練が開始され、そのころには頭部外傷についての特別の訴えはなくなつていたが、同月二三日の頭部CT検査でも、右前頭部に低密度域及び脳室の中等度拡大が認められた。
(四) 冨太郎は、同年六月二二日に郡山青藍病院を退院し、退院後も同病院に通院して投薬及び右肘の運動制限に対する機能訓練等の治療を受けるとともに、脳波の追跡検査を受けていたが、同年七月二九日から自宅に近い森本病院で右肘に対する理学療法を受けるため、同病院にも通院を始め(右肘に対する理学療法は、同年一二月二日まで続けられており、また、冨太郎は同病院で複視の症状に対する診察も受けている。)、さらに、複視の原因の精査のために同年六月二五日から市大病院眼科に、昭和六〇年一〇月二日から同病院脳神経外科にも通院するようになつた。
(五) 冨太郎は、市大病院眼科において、複像検査の結果等から右眼の下転障害による複視が認められると診断されたが、その後はやや改善傾向を示し、同年一一月の複像検査の結果では、ごく軽度の異常が認められるに過ぎず、複視が現れるほどの他覚的所見はないと診断されており、冨太郎の訴え自体も、同年一〇月一六日には「複視は気になるときとそうでないときとがある。」、同六一年一月八日には「疲労がなければ複視は生じない。」(いずれも同眼科における訴え)、同年一一月一二日には「朝は良いが疲労してくると複視を生じる。下方が複視である。疲れると全体に複視が生じる。」(森本病院における訴え)というようになり、必ずしも常時気になるような複視が存在するのではなく、疲労時にのみ症状が発生したり、増悪したりする程度のものに改善した。
また、市大病院脳神経外科の検査では、眼底、眼運動及び光反射、その他神経学的には異常所見は認められず、またテンシロンテストの結果も陰性であり、眼窩底部の骨折の存在も否定され、CT検査でも前頭域に低密度域が認められたことなどから、同科の坂本博昭医師は、同六一年二月一二日付で冨太郎の複視は外傷により眼球運動中枢が障害された結果生じたもので、回復は困難であり、複視の存在により車の運転は不適であると診断し、同六一年二月一二日には、右診断結果を冨太郎に説明した。
(六) 冨太郎の本件受傷による後遺障害については、森本病院の片平貞男医師が同六〇年一二月二日付けで、右肘関節に伸展が自動、他動ともマイナス一〇度、屈曲が自動一〇〇度、他動一一〇度の運動制限が残存しており、症状固定日は同日である旨の、市大病院眼科の南医師が同六一年一月八日付けで、他覚的には、視力、視野及び検眼鏡的に異常はなく、眼球運動等も特に異常を認めないが、複像検査にてごく軽度の異常が認められる複視(自覚症状)が残存しており、症状固定日は同日である旨の、郡山青藍病院の堀川章博医師が昭和六一年二月八日付けで、自覚障害として、複視、性格変化、健忘症が存在し、他覚的には、発語の軽度障害、性格変化、CT検査上右前頭部の梗塞像と脳室拡大が認められる後遺障害が残存しており、症状固定日は同年一月二〇日である旨の後遺障害診断書を発行しており、また、前記市大病院脳神経外科坂本医師も同年二月一二日付で前記診断結果と同趣旨の後遺障害症診断書を発行している。
(七) 冨太郎は、同六〇年一二月一一日に市大病院眼科の医師からそろそろ仕事は可能であり、一か月経過しても症状に変化がなければ症状固定とする旨の説明されたことから、同六一年一月二一日付で松原交通に復職したが、複視のためタクシーの運転をすることができないので、松原交通専用のLPガススタンドに勤務してタクシーへのLPガスの充填及びその記録の作成等を担当することになつたが、事故前に比して給料は減少し、また、充填が終わつたかどうかについて勘違いをしたり、充填したLPガスの量を記憶できずに間違つたりすることや複視の症状のため記録の作成がしづらいことなどを苦にしていた。
(八) ところが、冨太郎は、昭和六一年七月一四日午前一時ころ、睡眠中に突然けいれん発作を起こして意識を消失し、救急車で森本病院に搬送された。右発作について、同病院の阿部一清医師は、CT検査上、右前頭葉に頭部外傷の後遺障害と考えられる低吸収域が認められることから、これに起因する可能性が強いと診断し、抗てんかん剤の投与を始めたが、その後も一、二回同様の発作が起つたので、冨太郎は、同月二五日からは市大病院の脳神経外科にも通院し、同病院においても、CT検査により前頭葉に脳挫傷によると思われる低密度域が認められたことから外傷性てんかんと診断されたうえ、日常生活上の注意として、自動車の運転をしないこと、高所に登らないこと、酒は飲まないこと、睡眠を十分とること、抗てんかん剤を続けて飲むこと等を指示された。
冨太郎は、右けいれん発作が生じたのち、抗てんかん剤の副作用で食欲がなくなり、好きな酒も飲めなくなつたことを苦にしていたほか、宿直勤務をはずされたことでもう一人前の仕事はできなくなつたと気を落したり、自分にてんかんの症状があることが二人の子供の結婚に影響するのではないかと心配したりして、意気消沈した状態が続いたが、その後、昭和六一年八月二二日付けで、原告らに宛て、自分のけいれんは遺伝ではなく事故のためであり、縁談にさわるようなことがあれば市大病院脳外科の坂本医師にその旨を書面に書いてもらうようになどと記載した遺書を作成し、同年九月六日午前四時ころ、縊死自殺した。
2 以上認定の各事実に鑑定人中山宏太郎の鑑定結果を合わせ考えれば、冨太郎が自殺を決意するに至つたのは、本件事故による後遺障害として発症した複視の症状のために長年携わつてきたタクシー運転手としての仕事を断念せざるを得なくなつたこと、後遺障害の症状がほぼ固定した段階で事故前に勤務していた会社に職種を変えて復職し、新しい職場に適応しようとして努力を続けていたが、本件事故による後遺障害のために思うように働けず、収入も事故前よりも減少したこと、そのような折りに、事故後一年以上も経て突然、本件事故による頭部外傷に起因すると考えられるてんかん発作が発症し、いつまた発作が起るかも知れないという恐怖に加えて、食欲不振等の副作用のある抗てんかん剤を飲み続けなければならず、日常生活や仕事をするうえでも制約を受けるようになり、さらに、何よりも自分のてんかんが息子の結婚の邪魔になるのではないかということを深く危惧し、このような一連の持続的反復的ストレスのために重篤なうつ状態に陥ち入り、将来を大いに悲観した結果であるということができる。
以上のとおりであるから、冨太郎の自殺は、本件事故によつて生じた頭部外傷後の一連の後遺障害による持続的反復的ストレスが重篤なうつ状態を惹起し、それによつて引き起こされたものであると認められるところ、不法行為により傷害を受け、その後遺障害のために苦痛に悩まされたり、将来に挫折感を抱くようになつた被害者が、絶望のあまり死を選ぶということは、通常人にとつて予想することもできない希有な事例であるということはできず、前認定のような冨太郎の受傷の重篤性に照らしても、その自殺が予見不可能であるということはできないから、本件事故と冨太郎の自殺との間には相当因果関係があるというべきである。もつとも、自殺には、通常本人の自由意思が関与しているものであり、前認定の冨太郎の受傷内容、後遺障害の程度等に照らすと、同人が完全に自由意思を失つた状態で自殺したとは認め難いから、自殺によつて生じた損害を含むすべての損害を本件事故によるものとして被告らに賠償させることは、損害の公平な分担という損害賠償の理念に照らして相当ではなく、この点については、後記のとおり、過失相殺に準じて、自殺を選択した自由意思の程度や通常人が同一の状態におかれた場合の自殺を選択する可能性などを考慮して賠償すべき損害額を減額するのが相当である。
四 そこで、右三で認定した事実を前提に損害額について検討する。
1 訴外冨太郎の損害額
(一) 治療費 一四五万六八四四円
請求原因3(二)(1)ア(治療費)は、当事者間に争いがない。
(二) 入院雑費 九万四八〇〇円
前認定の冨太郎の治療経過によれば、冨太郎は郡山青藍病院入院中の七九日間に一日当たり一二〇〇円、合計九万四八〇〇円を下らない雑費を要したものと認められる。
(三) 入院付添費 三五万五五〇〇円
前認定の冨太郎の受傷内容、入院中の症状の経過及び程度に照らすと、冨太郎は前認定の入院期間中、付添看護の必要があつたものと認められるところ、原告桂子本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、右入院期間中冨太郎の近親者が毎日付添つて看護に当たつたことが認められるので、一日当たり四五〇〇円の入院付添費相当の損害を被つたものと認めるのが相当である。
(四) 休業損害 三一一万一〇七三円
前認定の事実に成立に争いのない甲第一六号証の一ないし一六、第一七ないし第一九号証、証人野村宏一の証言により真正に成立したと認められる甲第一〇号証の一、二及び同証言を総合すると、冨太郎は、本件事故当時、訴外松原交通株式会社にタクシー運転手として勤務し、本件事故の前年である昭和五九年の一年間に三九〇万二二〇六円(通勤手当を除く。)の収入を得ていたこと、冨太郎は、本件事故による症状のほぼ固定した同六一年一月二一日に訴外松原交通に復職し、同年二月分から毎月の給料(同年二月分の支払い総額は二〇万二八八六円)を得るようになつたことの各事実が認められるところ、前認定の冨太郎の受傷内容及び治療経過によれば、本件事故によつて、本件事故の日である昭和六〇年四月五日から同六一年一月二〇日まで二九一日間休業を余儀なくされたものと認めるのが相当であるから、冨太郎は、後記算式のとおり三一一万一〇七三円の休業損害を被つたものと認められる。
なお、原告らは休業のために賞与が昭和六〇年七月分で七万二〇四八円、同年一二月分で三三万四五一七円、同六一年七月分で九万六八二四円の合計五〇万三三八九円減額されたとして、これを休業損害に計上して請求しているが、前記休業損害の算定の基礎とした昭和五九年度の年収には賞与も含まれているのであるからさらに賞与の差額が生じたとして休業損害に計上するのは相当ではない。
(算式)
3,902,206円÷365日×291日=3,111,073円
(五) 後遺障害による逸失利益 七二万五九八二円
冨太郎は、本件事故による後遺障害の症状がほぼ固定した同六一年一月二一日に訴外松原交通に復職したが、後遺障害である複視の症状のため、本件事故前と同様にタクシー運転手として稼働することができなくなつたことからLPガススタンド勤務に職種を変え、右職種変更により減収が生じたことは、前認定のとおりであるところ、前掲甲第一七号証及び証人野村宏一の証言によれば、同年一月二一日から自殺する同年九月六日までの二二九日間に合計一七二万二二五一円(通勤手当を除く。)の給料及び賞与を得たことが認められ、冨太郎の昭和五九年度の年収が三九〇万二二〇六円であつたことは前記のとおりであるから、本件事故による後遺障害のため冨太郎が被つた得べかりし利益の喪失による損害は次の算式のとおり七二万五九八二円となる。
(算式)
3,902,206円÷365日×229日-1,722,251円=725,982円
(六) 死亡による逸失利益 二七三九万三二九一円
冨太郎は、前認定のとおり昭和八年三月五日生まれ(本件事故当時五二歳、死亡時五三歳)の男子であり、弁論の全趣旨によれば、本件事故当時、妻である原告桂子と子である原告和幸及び同秀利らと同居していたことを認めることができ、右事実によれば、冨太郎は本件事故によつて自殺しなければ、就労可能な六七歳までの間に少なくとも一四年間稼働することができ(原告は、松原交通において七〇歳まで雇用を保障されていたと主張するが、これを認めるに足りる証拠はない。)、その間毎年少なくとも前認定の昭和五九年度の年収額三九〇万二二〇六円程度の収入を得ることができるはずであつたと推認することができ、また、その間の同人の生活費は右収入の三〇パーセントと認めるのが相当である。そこで、右収入額を基礎に、右生活費相当額及びホフマン式計算方法により年五分の割合による中間利息を控除して、同人の逸失利益の本件事故当時の現価を計算すると、次のとおり二七三九万三二九一円となる。
(算式)
3,902,206円×0.7×(10.9808-0.9523)=27,393,291円
(七) 慰謝料
(1) 死亡までの慰謝料 二〇〇万円
前認定の本件事故の態様、冨太郎の傷害の部位、程度、治療経過によれば、冨太郎が死亡するまでの間に受けた肉体的・精神的苦痛に対する慰謝料は二〇〇万円が相当であると認める。
(2) 死亡慰謝料 六〇〇万円
前認定の冨太郎の自殺に至る経緯、その他本件証拠上認められる諸般の事情を考慮すると、冨太郎の死亡に対する慰謝料としては、別途原告ら固有の慰謝料が請求されていることを考慮し、六〇〇万円が相当であると認める。
2 原告らの損害
(一) 葬儀費用
弁論の全趣旨によれば、原告らは冨太郎の葬儀を執り行い、その費用を各自の法定相続分に従つて負担したことが認められる。
右事実によれば、原告桂子が四〇万円、同和幸及び同秀利が各二〇万円の葬儀費用相当の損害を被つたものと認めるのが相当である。
(二) 慰謝料
前認定の原告らと冨太郎との身分関係によれば、冨太郎の死亡により同人らが受けた精神的苦痛に対する慰謝料としては、原告桂子について五〇〇万円、同和幸及び同秀利について各二五〇万円が相当であると認める。
五 寄与度による減額
前記のとおり、冨太郎が自殺を選択して本件事故による損害を拡大させたことについては、同人の自由意思も関与しているので、被告らが賠償すべき損害額を相当程度減額すべきであるところ、前認定の冨太郎の傷害及び後遺障害の内容・程度並びに自殺に至るまでの経緯等を考慮すると、前認定の冨太郎の死亡による損害額(冨太郎の死亡による逸失利益、同人の死亡慰謝料、原告らの葬儀費用、同人らの固有の慰謝料)から、五〇パーセント減ずるのが相当である。
六 過失相殺
前二1で認定した各事実によれば、冨太郎には、事故車が午前四時過ぎで交通閑散であつたところから、時速六〇ないし七〇キロメートルの高速度で接近しており、その走行状態からすると事故車の運転手である被告田仲が横断しようとしている冨太郎に気付いて事故車を停止又は減速させようとしているような様子はうかがわれなかつたのであるから、事故車の速度と事故車との距離関係を確かめ、安全を確認して横断しなければ、横断中に事故車と衝突する危険性が高かつたにもかかわらず、右速度及び距離関係を見誤り、漫然横断可能と判断して横断した過失があつたというべきである(冨太郎が横断を始めた場所は、本件事故現場の横断歩道から若干西側にはずれていたものの、前認定の事実によれば、横断歩道との距離は一メートル程度であつたと考えられるから、横断歩道と同視しうる場所というべきであるが、そうであるとしても、冨太郎は、事故車が横断歩行者に気付いていないと思われるような高速度で走行していたのであるから、その速度及び距離関係に十分気を配り、横断を見合わせるか、駆け足で横断するなどして、事故を未然に防止すべきであつたということができる。)から、損害賠償額を定めるに当たつては右過失を斟酌すべきである。そこで、前認定の本件事故の態様、被告田仲の過失の内容及び程度に、前認定のとおり、本件事故の発生時刻が交通閑散な午前四時過ぎころであつたこと、冨太郎が経験豊富な職業運転手であつたこと、及び冨太郎の判断の誤りには事故車の前照灯の光量不足が関係している可能性もあり得ることなどを合わせ考慮して、前認定の損害額から二〇パーセントを減ずるのが相当である(以上によれば、原告らの損害は、相続分が合計で一九五五万二六七五円、固有分が原告桂子について二一六万円、原告和幸、原告秀利について各一〇八万円となる。)。
七 損益相殺
請求原因4(合計一一八九万四八五九円の損害の填補、以下、「<1>の支払い」という。)及び抗弁3のうち、原告桂子が障害補償年金差額一時金として六〇八万五一三二円を受領した事実(以下、「<2>の支払い」という。)は当事者間に争いがない。
そうすると、<1>の支払いは、冨太郎の過失相殺後の損害額に充当され(残額は七六五万七八一六円となる。)、<2>の支払いは、後記九の権利の承継により取得した原告桂子の損害賠償請求権(三八二万八九〇八円)及び過失相殺後の原告桂子の固有の損害額(二一六万円、合計五九八万八九〇八円)に全額充当されたことになるので、右<1><2>の支払いにより原告桂子の損害賠償請求権の残額は存しないことになる。
なお、抗弁3のうちその余の労災保険金についても、冨太郎及び原告桂子が全額受領したことは当事者間に争いがないが、これらの特別支給金、特別年金は労働福祉事業の一環として、労働者の福祉の増進を図るために支給されるもので、損害填補のためではないから、損害賠償額から控除すべきものには当たらないというべきである。
八 権利の承継
弁論の全趣旨によれば、請求原因3(二)(2)(権利の承継)の事実を認めることができる。
九 弁護士費用
弁論の全趣旨によれば、原告らは原告訴訟代理人に本件訴訟の提起及び追行を委任し、相当額の費用及び報酬を支払い、又は支払いの約束をしているものと認められるところ、本件事案の内容、審理経過、認容額等に照らすと、本件事故と相当因果関係に立つ損害として賠償を求めうる弁護士費用の額は、原告和幸、同秀利につき各三〇万円と認めるのが相当であり、原告桂子については右賠償を求めることはできないというべきである。
一〇 結論
以上の次第で、原告らの本訴請求は、被告ら各自に対し、原告和幸及び同秀利が各三二九万四四五四円及びうち弁護士費用を除く二九九万四四五四円に対する本件事故発生の日である昭和六〇年四月五日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の各支払いを求める限度で理由があるからこれを認容し、原告和幸及び同秀利のその余の請求及び原告桂子の請求は理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条、九三条一項を、仮執行宣言につき同法一九六条一項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 笠井昇 松井英隆 永谷典雄)